2025年9月、『じゅん散歩』がついに放送10周年を迎えます。
街を歩くだけのシンプルな番組ながら、平均視聴率5%超をキープし続け、多くの人々に愛されてきたのは三代目散歩人・高田純次さんの存在があってこそ。
77歳になった今も軽妙なトークと“適当すぎるキャラ”でお茶の間を魅了しています。
実はその裏には、受験の挫折やアルバイト生活の苦労、そして生死をさまよった経験がありました。
今回は高田純次さんの若い頃から現在までを振り返りながら、なぜ彼が「適当男」として愛され続けるのかを探ります。
若い頃の挫折と“デザイナー時代”からの転身
高田純次さんは1947年、東京都生まれ。
幼少期は明るく活発で、学校では「勉強のできる純ちゃん」と呼ばれるほどの優等生でした。
しかし、その後の進学では思わぬ苦難が待ち受けていました。
高校受験で第一志望に不合格となり、さらに大学受験では一浪目に5校、二浪目に10校すべて不合格という連続挫折。
いきなり「学歴の壁」に阻まれたのです。
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結局、彼が進学したのは東京デザイナー学院グラフィック科。
そこで美術やデザインの基礎を学び、卒業後は宝石会社に就職しました。
宝石デザイナーとして才能を発揮し、「新進気鋭のデザイナー」として高評価を受け、給料も安定。
「このまま順調に…」と誰もが思った矢先、30歳を過ぎた頃に突然の転機が訪れます。
心の奥にあった“芝居への夢”が消えていなかったのです。
ある日、新宿の居酒屋で偶然出会ったのが、劇団研究生時代の仲間・柄本明さんやベンガルさん。
彼らが旗揚げした「東京乾電池」の成功を知り、再び演劇への情熱が燃え上がりました。
そして妻子を抱えながらも、マンションの頭金200万円を切り崩して退職。
安定した生活を捨てて飛び込んだその一歩が、のちに“適当男”として愛される人生の始まりでした。
苦労だらけの下積み時代と壮絶な体験
華々しい再出発かと思いきや、劇団員としての生活は想像を絶するほど過酷でした。
昼12時から夕方までは稽古、夜は道路工事のアルバイトに出て朝5時まで働く日々。
睡眠時間はほとんどなく、体力と精神の限界に挑むような生活が続きました。
特に忘れられないのが、水道管工事の現場での事故。
突然の土砂崩れで全身が生き埋めになりかけるという九死に一生の体験をしたのです。
この壮絶な下積みは、後に「適当」に見える彼の生き方の裏付けになっていきます。
そんな彼に転機が訪れたのは32歳の時。
フジテレビ『笑ってる場合ですよ!』でテレビデビューを果たし、1985年には『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演。
ここで一気にブレイクし、全国区の人気者となりました。
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番組で見せた**軽妙なトークと“適当キャラ”**は、実は過去の苦労を笑い飛ばす術でもありました。
彼自身は「明日の1万より今日の千円」と語り、先のことを考えすぎず“今を楽しむ”姿勢を強調しています。
タモリさんからも「厚みをなくそうとしているように見えるけど、それがすごい」と評価されるなど、独自のスタンスが芸能界でも特別な存在感を放っていきました。
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77歳で迎えた現在と『じゅん散歩』の魅力
高田純次さんにとって、67歳の時の大手術は人生を大きく変える出来事でした。
椎間板ヘルニアと脊柱管狭窄症の治療で長期間リハビリ生活を余儀なくされますが、医師から「歩くことが一番のリハビリ」と勧められます。
そんな時に届いたのが、テレビ朝日からの新番組『じゅん散歩』のオファー。
これ以上ないタイミングで舞い込んだ話に「渡りに船」と出演を決意しました。
2015年の放送開始から10年、番組は平均視聴率5%超を維持し、2025年には放送10周年を迎えます。
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街を歩くだけのシンプルな内容なのに、77歳の高田純次さんが見せる人懐っこさとユーモアが視聴者を魅了。
散歩中に街の人々から「純ちゃーん!」と声をかけられる姿は、もはや日本の朝の風景の一部になりました。
さらに、2023年には初の画集『じゅん散歩画集 一歩一絵』を刊行し、芸人としてだけでなくアーティストとしても注目されています。
タモリさんが「社会にああいう人が必要」と語ったように、適当でありながら人生を楽しむ姿勢は、多くの人々に安心感と笑いを届けています。
77歳を迎えてもなお、“歩き続ける男”高田純次さんの魅力は健在です。
まとめ
『じゅん散歩』10周年を迎えた今、高田純次さんの人生はまさに「適当哲学」の結晶といえます。
若い頃の挫折、サラリーマンからの大胆な転身、壮絶な下積み、そして健康を経てたどり着いた散歩番組。
すべてが「今を生きる」姿勢につながっています。
これからも、適当だけど芯のある高田純次さんが、77歳を超えてどんな風に人生を歩いていくのか、多くのファンが楽しみにしています。