「地元の人といっしょに」篇から読み解く人生観!!
1999年から現在まで、実に26年にわたって明治安田生命のCMに起用され続けている小田和正さん。
日本のCM史でも、これほど長く同じアーティストが起用され続ける例はほとんどありません。
2025年に放映された最新作「地元の人といっしょに」篇では、三浦知良選手とともに、地域と人をつなぐ姿が描かれ、多くの視聴者の心を静かに揺らしました。
なぜ小田和正さんは、ここまで長く“選ばれ続ける存在”なのか。
その理由をCMの内容と本人の人生エピソードからひも解いていくと、そこには**「歌手・小田和正」ではなく「人としての小田和正」**の生き方が浮かび上がってきます。
🌌なぜ26年も続くのか?小田和正と明治安田生命CMの特別な関係
小田和正さんと明治安田生命の関係は、1999年に「言葉にできない」がCMに起用されたことから始まります。
それ以降、「たしかなこと」「愛になる」「風を待って」、そして2024年の書き下ろし曲「すべて去りがたき日々」まで、時代ごとに楽曲を変えながらも、一貫して同じブランドイメージを支え続けてきました。
ここまで長期にわたり同一アーティストを起用し続けるのは、単なる“好感度の高さ”だけでは説明できません。
明治安田生命のCMが一貫して掲げているテーマは、「今を大切にする」「人と人のつながり」「人生に寄り添う」という価値観です。
むーたんそしてこれは、そのまま小田和正さんの楽曲世界と完全に重なります。



恋愛や別れ、人生の節目を描く小田和正さんの歌は、決して派手ではないけれど、誰の人生にも自然に入り込んでくる普遍性を持っています。
だからこそ、CMに流れた瞬間、視聴者は**「広告」ではなく「自分の物語」**として受け取ってしまうのです。
さらに重要なのは、小田和正さん自身が「CMのために作っている」というより、「自分の人生をそのまま歌っている」ようなスタンスを崩していない点です。
企業のイメージに寄せるのではなく、あくまで自分の言葉、自分の感覚で歌い続けている。
その結果、明治安田生命のメッセージと自然に重なり合い、**“企業とアーティストが共に歳を重ねてきた関係”**が生まれたとも言えるでしょう。
この26年間は、単なるタイアップの歴史ではなく、同じ人生観を共有するパートナーの歩みだったのかもしれません。
🌈「地元の人といっしょに」篇が描く“今の小田和正”という存在
2025年放映の「地元の人といっしょに」篇は、これまでの明治安田生命CMの中でも、特に“人の顔”が前面に出た作品です。
Jリーグスタジアムでの観戦、ウォーキングイベント、健康チェック、地元のお祭りへの参加など、派手な演出はなく、ただ地域の人たちと同じ目線で時間を共有する姿が映し出されます。
このCMで象徴的なのは、小田和正さんが「何かを語る存在」ではなく、「一緒にそこにいる存在」として描かれている点です。



ナレーションで人生を説くわけでもなく、特別なメッセージを押しつけるわけでもない。



ただ人々の中に自然に溶け込み、同じ風景を眺めている。それだけなのに、視聴者は不思議と安心感を覚えてしまいます。
ここにあるのは、**“スター性”ではなく“生活者としてのリアリティ”**です。
若い頃の小田和正さんは、オフコース時代のカリスマ性や、月9主題歌で一気に国民的存在になった時代の華やかさがありました。
しかし現在の小田和正さんは、成功を誇示することも、若さを装うこともありません。
年齢を重ねた一人の人間として、自然体でそこに立っているだけなのです。
だからこそ「地元の人といっしょに」というタイトルは、CMの企画であると同時に、そのまま小田和正さんという人物の生き方そのものを表している言葉にも見えてきます。
🚙1998年の交通事故が変えた、小田和正の人生観
小田和正さんの人生を語るうえで欠かせないのが、1998年の交通事故です。
東北自動車道でのスリップ事故により、鎖骨や肋骨を骨折し、首の骨がずれるという重傷を負いました。
本人も「九死に一生だった」と語るほど、生死の境をさまよった出来事でした。



この事故の後、小田和正さんの考え方は大きく変わったといいます。
特に印象的なのが、ファンから届いた手紙に対するエピソードです。
「生きていてくれただけでよかった」という言葉を数多く受け取り、「身内でもない人たちが、ここまで心配してくれるとは思わなかった」と強く心を打たれたと語っています。



この体験をきっかけに、小田和正さんは**「喜んでもらえるなら、もっと素直にやろう」**と考えるようになりました。
それまでのように照れたり距離を取ったりするのではなく、観客に手を振り、花道を作り、物理的にも心理的にも“近づく”ライブスタイルへと変化していきます。
つまり現在の小田和正さんは、「生きていることそのもの」を肯定し、「人とつながれること」を何より大切にするアーティストになったのです。
この価値観こそが、「人の人生に寄り添う」明治安田生命のCMと、これ以上ないほど深く重なっているのかもしれません。
👩母の存在がつくった「小田和正という人格」
小田和正さんがたびたび語ってきたのが、母・きのえさんの存在です。
彼は「人生で最も大きな出来事のひとつは母と出会ったこと」とまで語っています。
母は常に「自分の好きなことをやりなさい」と言い続け、音楽の道に進む小田和正さんを一切否定することはありませんでした。
兄の言葉も印象的です。
「俺たちは銀河のどこかから、誰のところに生まれようかと言って、あの人を選んで生まれた」。
このエピソードからも、家族にとって母がどれほど大きな存在だったかが伝わってきます。
一方で父との関係は複雑でした。
学歴への強いこだわり、厳しい価値観。
その反動として、小田和正さんの中には「俗への嫌悪」「聖への憧れ」が生まれたと分析されています。
だからこそ小田和正さんの歌には、競争や成功よりも、**「人の弱さ」「優しさ」「つながり」**が強く表れるのです。
明治安田生命のCMに流れる小田和正さんの歌が、どこか“家庭的”で“安心感”を持つのは、決して偶然ではありません。
その根底には、母から受け取った価値観が、今もそのまま息づいているからなのです。
🏢建築を捨てた男が、音楽で「人生」を設計した理由
オフコースに密着したドキュメンタリー「若い広場 オフコースの世界」、CS ホームドラマチャンネルにて3月8日放送。小田和正等メンバーの若き日の姿は必見https://t.co/BUTXIAIWGh#オフコース#タワレコオンラインニュース pic.twitter.com/jVUiydWMjV
— タワーレコード オンライン (@TOWER_Online) February 3, 2026
実は小田和正さんは、東北大学工学部建築学科から早稲田大学大学院へと進学した、れっきとしたエリート建築学生でした。
卒業設計では「ART VILLAGE」という芸術村の構想を描き、建築家としての道も本気で考えていたといいます。
しかし最終的に彼は、修士論文「私的建築論」を提出し、事実上「建築との決別」を選びます。



その論文は、建築に対する愛情と同時に、「自分はこの世界では生きられない」という結論でもありました。



このエピソードは、音楽人生と深くつながっています。
建築では“形ある空間”を設計しようとした小田和正さんは、音楽では“心の空間”を設計するようになったとも言えるのです。
人が集まり、安心し、涙し、前を向ける場所。それを楽曲という形で作り続けてきました。
だから明治安田生命のCMで流れる小田和正さんの歌は、単なるBGMではなく、**「人生を包む空間そのもの」**のように感じられるのかもしれません。
📌まとめ
小田和正さんが26年も明治安田生命CMに選ばれ続ける理由は、知名度やヒット曲の多さだけではなく、**「人生そのものがブランドメッセージと一致しているから」**なのだと感じさせられます。
交通事故を経て人とのつながりを大切にし、母から受け継いだ優しさを今も持ち続け、建築を捨てて音楽で人生を設計してきた小田和正さん。
その生き方そのものが、「人に寄り添う」という明治安田生命の理念と重なり合っているのです。
「地元の人といっしょに」篇は、そんな小田和正さんの現在地を静かに映し出した、ひとつの“人生のドキュメント”のようにも見えてきます。
これから先も、彼の歌とCMは、きっと私たちの日常にそっと寄り添い続けていくのかもしれませんね。
【※本記事は公式発表・公式情報を参考にしつつ、作品内容を基にした考察を中心に構成しています。】









