前田敦子のものまねで一世を風靡したピン芸人・キンタロー。さん。
迫力満点の顔芸と全力パフォーマンスで、今もテレビやSNSを賑わせています。
しかし、その笑顔の裏には、家族の試練や遅咲きの挑戦、そして2児のママとしての奮闘が隠されています。
今回は、ダンスで培った表現力と「笑いの力」を武器に、家族も観客も笑顔に変えてきたキンタロー。さんの、ちょっと泣けて笑える物語をご紹介します。
幼少期の「初顔芸」と暗黒期を乗り越えた少女時代
キンタロー。さんの原点は、なんと父のくしゃみのものまね。
毎朝、洗面台で豪快に響く「ブラッホン!!」という音を完コピし、妹の前で披露したのが最初の“ネタ”でした。
小学3年生のあの日、妹が腹を抱えて笑ってくれた瞬間、「人を笑わせるって最高だ!」と感じ、お笑い芸人になる夢が芽生えます。
実家は愛知県岡崎市でビジネス旅館を営んでおり、全国から訪れる大人たちに囲まれた環境で育ちました。
ただ、性格は人見知り。
家ではおちゃらけて家族を笑わせる一方、学校ではおとなしく控えめな存在でした。
しかし、中学時代にいじめを経験。
心が沈み、殻にこもる時期がありました。
それでも、高校時代に経験したカナダへの短期留学が転機となります。
異文化の中で過ごすうちに「自分を表現する楽しさ」を再び思い出し、短大では競技ダンス部に入部。
ダンス漬けの日々で全国4位に輝くまでの腕前になり、舞台に立つ喜びと緊張感を体に刻みました。
実は短大2年生のとき、吉本新喜劇のオーディションで最終選考まで進むという快挙もありました。
しかし、当時憧れていたダンス部の先輩から「ダンスを続けてほしい」と引き止められ、芸人の夢は一旦封印。
それでもこの経験が、後に芸人としてのネタ作りや舞台度胸に生きることになります。
まさに、笑いと表現の土台はこの時期に固められたのです。
家族の試練と「30歳デビュー」という遅咲きの決断
キンタロー。さんってすごいなって思う。 pic.twitter.com/a0DyV7FQPS
— ところてん (@105610tabetai) August 9, 2025
短大卒業後は大阪でダンス講師として活動し、充実した日々を送っていました。
しかし26歳のとき、母が急逝。
さらに父は双極性障害を患い、精神的に不安定な状態に。
仕事を辞め、妹と共に地元へ戻って介護をする生活が始まりました。
夢は遠ざかり、生活も精神的にも追い詰められる中で、「もう一度、自分のやりたいことをやらなければ」という思いが静かに募っていきます。
芸人になる決意を父に打ち明けたとき、キンタロー。さんは正直不安でした。
特にブレークのきっかけとなる前田敦子のものまねは、当時批判も多く、父が傷つくのではないかと心配だったのです。
ところが父は笑って「知ってたよ。お父さんは大丈夫だから。やりたいことだったんでしょ? 頑張りなよ」と背中を押してくれました。
この言葉が、大きな勇気になりました。
2011年、松竹芸能タレントスクールに特待生として入学。
29歳での挑戦は決して平坦ではありませんでしたが、翌年30歳でデビューすると、わずか1年で大ブレーク。
2012年末、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で優勝し、一気にお茶の間の人気者に。
遅咲きだからこそ、舞台に立つ喜びや一瞬一瞬を大切にする姿勢が磨かれたのです。
父は2015年に他界しましたが、その「やりたいことをやれ」という言葉は今も胸に刻まれ、芸人としての原動力になっています。
ママ芸人としての奮闘と再ブレークのきっかけ
2015年、テレビディレクターの夫と結婚。
不妊治療を経て、第一子を授かったのは何よりの喜びでしたが、出産は緊急帝王切開。
理由は「赤ちゃんの頭が大きすぎて自然分娩が難しかった」という、後にネタにもなるエピソード付きです。
数年後には第二子も誕生し、現在は2歳と4歳の2児の母。
コロナ禍では義母と同居し、子育てを手厚くサポートしてもらいながら芸人活動を続けてきました。
娘たちは「ママに似て表情筋が豊か」と評判で、家では母の顔芸を真似して大爆笑。
食卓やお風呂場が即席お笑いライブ会場になることも珍しくありません。
MiRAKUU : 笑いって最強! 笑いでたくさん子ども達を笑顔にしてほしい!──キンタロー。さん
2024年3月、12年間在籍した松竹芸能を退所し、フリーに転身。
この大胆な決断は、環境を変えて新しい挑戦をしたいという思いからでした。
そしてその直後、『千鳥の鬼レンチャン』で披露したアンジェリーナ・ジョリーやゲームキャラ「ドッスン」のカラオケパフォーマンスがSNSで大バズり。
フォロワーは一気に倍近くまで増加し、再ブレークを果たします。
彼女の信念は一貫しています。「恐れを持たずに喜ばせたいと思えば、必ず通じる」。
子育てでも芸でも同じで、相手を笑顔にしたい気持ちが行動の原動力です。
今もキンタロー。さんは、母として、芸人として、全力の顔芸で人々を魅了し続けています。
まとめ
キンタロー。さんの顔芸は、ただの笑いではなく、家族との絆や試練を乗り越えた物語そのものです。
30歳での遅咲きデビュー、母としての奮闘、そして再ブレークと、常に全力で生きる姿勢が人々を魅了します。
これからも家庭の温かさと舞台の熱気を行き来しながら、「笑いは最強」を体現し続ける彼女。
キンタロー。さんの爆笑ドラマは、まだまだ終わりそうにありません。