国民的グループとして愛される「いきものがかり」。
代表曲「ありがとう」や「YELL」で知られる彼らですが、実はその背景には、神奈川県の厚木や海老名といった出身地のつながりや、努力で勝ち取った高学歴、ちょっぴり笑える結成秘話まで詰まっています。
今回は、いきものがかりのメンバーそれぞれの学歴や出身、デビューまでの道のりを一気に振り返りながら、仮面浪人や金魚係といった驚きのエピソードもご紹介します。
何気なく聴いていたあの名曲も、知れば知るほど味わい深くなること間違いなしです!
出身地は厚木&海老名!同級生コンビの幼なじみエピソード
いきものがかりの原点は、神奈川県の厚木市と海老名市にあります。
メンバーの水野良樹さんは海老名市出身、吉岡聖恵さんは厚木市出身で、山下穂尊さんも神奈川県育ち。
この近隣地域で育った3人が後に全国区のグループになるとは、当時誰が想像したでしょうか。
特に水野良樹さんと山下穂尊さんは、小学校から高校までずっと同じ学校という、まさに“筋金入りの幼なじみコンビ”。
グループ名「いきものがかり」の由来も、この2人の小学校時代のエピソードから来ています。
J-WAVEのインタビューで明かされたところによると、ふたりは小学1年生のときにじゃんけんで負けて、金魚にエサをあげる「生き物係」になったことがきっかけだったそうです。
本当は水野良樹さんは保健係、山下穂尊さんは黒板係になりたかったとか。
そんな思い出がグループ名になるなんて、微笑ましすぎますよね。
J-WAVE NEWS : いきものがかり・水野良樹が振り返る、結成当時のこと「初めから違和感がなかった」【特集】
そして1999年、大学受験の年でもある高校3年生の2人が「いきものがかり」を結成。
その後、吉岡聖恵さんが路上ライブに飛び入り参加し、3人体制に。
こうして、海老名や厚木、小田急線沿線の駅前での路上ライブを通じて、地元密着型ユニットとしての活動が本格化していきました。
地域の風景や空気感が、彼らの音楽の根っこに息づいているのが感じられます。
仮面浪人から一橋大へ!水野良樹の知られざる努力と学歴
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— Billboard JAPAN (@Billboard_JAPAN) August 6, 2025
いきものがかりのリーダー・水野良樹さんは、音楽の才能だけでなく、その学歴も注目されています。
1982年生まれの彼は、神奈川県立厚木高校を卒業後、一度は一橋大学を受験するも不合格という結果に。
しかしそこで諦めず、翌年の再挑戦を決意。
いったん明治大学に進学しながら、裏では一橋大学を再受験するための勉強を続ける、いわゆる“仮面浪人”という道を選びました。
このことは日経ビジネスのインタビューでも語られており、昼間は授業、夜は受験勉強というストイックな日々を経て、ついに一橋大学社会学部への合格を果たします。
その努力と根性には、思わず拍手を送りたくなりますよね。
一橋大学といえば、日本の社会科学系でトップクラスの難関国立大。
日経ビジネス : いきものがかりは気付いた。「みんなが聴く音楽」が空いている
その一方で、いきものがかりとしての音楽活動もスタートしており、まさに“文武両道”という言葉がぴったりの経歴です。
学歴だけでなく、彼の音楽づくりにも真面目で誠実な人柄がにじみ出ています。
歌詞の言葉選びが繊細だったり、メロディが温かかったりするのも、こうした内面の積み重ねがあるからこそ。
努力の人・水野良樹さんのストーリーを知ると、いきものがかりの楽曲がもっと深く心に響いてきます。
路上ライブと文化祭から武道館へ!“王道J-POP”の原点とは?
いきものがかりのスタート地点は、地元・神奈川県の駅前路上ライブ。
最初は水野良樹さんと山下穂尊さんの男性2人組での活動でしたが、同じように“ゆず”のコピーをしているグループが多く、どうしても目立ちにくいという課題がありました。
そこで水野良樹さんは「真ん中に歌の上手い女の子を入れよう」と考え、山下穂尊さんの同級生の妹である吉岡聖恵さんが1999年に飛び入り参加。
これが3人体制へのターニングポイントとなります。
ちなみに、音楽活動の萌芽は高校時代から始まっていて、水野良樹さんは厚木高校の文化祭で、自作曲『燃える花』を発表。
当時の文化祭では、テーマソングを校内で募集し、全校投票で選ばれていたのですが、彼の曲は2年生バンドとして唯一決勝に進出し、最終的に3年生バンドを抑えて優勝。
しかし、翌日3年生の先輩に「昨日のは準決勝だった」と言われ、再試合で惜しくも敗北するという、ほろ苦くも青春なエピソードが残っています。
そんな悔しさや経験が、水野良樹さんの作曲スタイルや表現力を磨く原動力になったのかもしれません。
2006年に「SAKURA」でメジャーデビューを果たすと、彼らは「ありがとう」「YELL」など多くの名曲を生み出し、“J-POPの王道”とも言われる存在へと成長。
2024年には武道館での弾き語りライブも実現し、路上からスタートした夢の舞台は、確実に現実になりました。
※2021年6月2日に山下穂尊がグループを離れ、現在は吉岡聖恵ささんと水野良樹さんの2人体制で活動を続けています。
まとめ:努力と絆がつくった、いきものがかりという奇跡
いきものがかりの物語には、才能だけでなく「地元とのつながり」「諦めない努力」「音楽への情熱」といった、多くの魅力が詰まっています。
金魚係から始まった関係性、仮面浪人という努力の選択、文化祭や路上ライブで積み上げた経験…。
その一つひとつが、今日の“J-POPの王道”を形作ってきたのです。
これからも、等身大でまっすぐな彼らの音楽が、多くの人の心に届き続けることでしょう。