今やテレビで見ない日はないほど活躍しているおいでやす小田さん。
絶叫ツッコミのイメージが強い一方で、その裏には想像以上に長く、厳しい下積み時代がありました。
実は、劇場の最低ランクから抜け出すまでに9年半もかかっていた苦労人でもあります。
R-1グランプリ決勝常連でありながらなかなか報われず、結婚や東京進出という人生の大きな決断を経て、M-1グランプリ準優勝で一気にブレイク。
この記事では、おいでやす小田さんの壮絶な経歴を時系列で分かりやすく解説していきます。
笑いの裏側にあるリアルな物語を知ると、きっと見方が変わってくるかもしれません。
💡下積み9年半…売れなかった若手時代とピン芸人への転機
おいでやす小田さんの芸人人生は、決して順風満帆なスタートではありませんでした。
NSC大阪校23期生として芸人の道に進んだものの、最初はコンビを組んでは解散を繰り返す時代が続きます。
西森洋一さん(現・モンスターエンジン)との「蛇腹」、奥重敦史さん(現・吉本新喜劇)との「土瓶」など、どれも長くは続かず、思うような結果を残せませんでした。
2008年頃からピン芸人として活動を本格化させますが、ここからが本当の苦難の始まりでした。
むーたん本人がインタビューで語っている通り、劇場の一番下のランクからメンバー入りするまでに9年半。



この期間は、芸人としての評価がほとんど得られず、「自分は向いていないのでは」と思う瞬間も何度もあったそうです。
婦人公論 : おいでやす小田「ダメ過ぎた下積みの9年半、後輩のかまいたちと目も合わせられなかった。声の迫力は、でかい劇場に変わって生かされて」
生活は決して楽ではなく、湯豆腐屋、ファミレス、ハム屋、水道メーターの検針など、数え切れないほどのアルバイトを経験。
芸人としての夢を追いながら、現実と向き合い続ける日々でした。
それでも辞めなかった理由について、おいでやす小田さんは「やめる理由が見つからなかった」と語っています。
この言葉には、諦めきれない覚悟と、芸への執念がにじんでいるように感じられます。
この長い下積み時代があったからこそ、後の絶叫ツッコミの説得力や、人の感情を一瞬でつかむ間の取り方が磨かれたのかもしれません。
遠回りに見えた時間が、確実に今の芸風につながっているようにも思えます。
🌟R-1常連でも報われず…結婚と東京進出が人生を動かした理由
おいでやす小田、ドラマ出演でアドリブなし 共演者からの指摘にも平然「一言一句ちゃんと」 https://t.co/uxFyAGSpwP#伊野尾慧 #HeySayJUMP #松本穂香 #味方良介 #黒田光輝 #おいでやす小田 #高橋光臣 #木村多江 #50分間の恋人 @drama_50min
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おいでやす小田さんは、2016年から2020年までR-1グランプリに5年連続で決勝進出という快挙を成し遂げています。
しかし意外なことに、これだけの実績がありながら、仕事が一気に増えることはありませんでした。
理由として本人が語っているのが、関西では漫才コンビが優先されやすい現実。
ピン芸人であるおいでやす小田さんは、R-1で結果を残しても、テレビのロケやレギュラー番組に呼ばれる機会がなかなか増えなかったのです。



この状況は、精神的にもかなり厳しいものだったそうです。
そんな中で大きな支えになったのが、2013年に結婚した5歳年上の妻の存在でした。
おいでやす小田さんは妻を「アゲ妻」と表現し、「結婚していなかったら今ここにいないかもしれない」とまで語っています。



芸人としてうまくいかない時期も、常に前向きな言葉をかけ続けてくれた存在だったようです。
そして2018年、妻の何気ない一言「東京進出とかどうなん?」が、人生の大きな転機になります。
週刊女性PRIME : おいでやす小田が語る、東京進出とM-1芸人への道を支えた“アゲ妻”の「金言」
周囲からは「今さら東京?」と止められたものの、おいでやす小田さん自身は「このまま大阪にいても変わらない」と覚悟を決め、東京吉本への移籍を決断。
この選択が、後の大ブレイクへとつながっていきます。
結果が出ない中でも環境を変える勇気を持ったこと、そしてそれを後押ししてくれるパートナーがいたことが、おいでやす小田さんの人生を大きく動かしたように感じられます。
🎊M-1準優勝で大逆転!おいでやすこが誕生と現在の活躍
東京進出後、おいでやす小田さんの運命を決定づけたのが、**こがけんさんとのユニット「おいでやすこが」**でした。
2019年にユニットを結成し、翌2020年のM-1グランプリに挑戦。
ピン芸人同士という異色の組み合わせは、大会前から注目を集めていました。
そして迎えた2020年12月20日、M-1グランプリ準優勝。



マヂカルラブリー、見取り図との大接戦の末、松本人志さんからも票を獲得するなど、会場と視聴者に強烈なインパクトを残しました。
ただしおいでやす小田さん本人は、後のインタビューで「正直、優勝したくなかった」と語っています。
その理由は、「優勝の重圧を背負える自信がなかった」から。



ここにも、長年の苦労を経験してきたおいでやす小田さんらしいリアルな本音が見えます。
この準優勝をきっかけに、テレビ出演は急増。
バラエティだけでなく、ドラマ出演やナレーション、エッセイ出版など、活動の幅も一気に広がりました。
さらに京都府文化観光大使としての顔も持ち、芸人としてだけでなく、人柄そのものが評価される存在になっています。
長い下積み、報われない時代、思い切った決断を経て、ようやくつかんだ現在のポジション。
だからこそ、今の活躍がより深みのあるものに感じられるのかもしれません。
📌まとめ
おいでやす小田さんの経歴を振り返ると、下積み9年半、R-1常連でも売れない時代、結婚と東京進出という決断など、どの場面を切り取っても簡単な道ではなかったことが分かります。
それでも諦めず、環境を変え、人との縁を大切にし続けた結果、M-1準優勝という大きな転機をつかみました。
今の明るく全力な芸風の裏には、積み重ねてきた時間と覚悟がしっかりと存在しています。
これからも、おいでやす小田さんがどんな新しい表情を見せてくれるのか、そっと楽しみに見守っていきたいですね。









