78歳――。
この年齢で全国アリーナツアーを完走し、2025年ライブ動員力ランキングTOP40で17位にランクインしたアーティストがいます。
それが小田和正さんです。
Snow Manや乃木坂46と並ぶランキングの中で、世代もジャンルも超えて支持され続ける存在感は、まさに特別なもの。
「どうして今も売れ続けているの?」「なぜ小田和正の歌は、こんなにも心に残るの?」
この記事では、2025年ライブ動員力ランキング17位の理由を軸に、オフコース時代から現在までの歩み、家族との関係、名曲が生まれた背景、そして史上最年長で全国ツアーを完走した舞台裏までを、やさしく分かりやすくまとめました。
読み終えた頃には、小田和正さんという存在が、もっと身近に感じられるはずです。
🏅なぜ78歳でライブ動員力ランキング17位?2025年ツアーが“異次元”だった理由
2025年に発表されたライブ動員力ランキングTOP40で、小田和正さんは17位にランクインしました。
注目したいのは順位だけではありません。
78歳7か月で全国13都市28公演、延べ31万人を動員し、全国アリーナツアーを最後までやり切ったという点です。
むーたんこれは日本の音楽史の中でも、史上最年長クラスの記録として語られています。
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これほど多くの人が集まる理由の一つは、世代を超えて愛されていることにあります。
オフコース時代をリアルタイムで知る60〜70代、「ラブ・ストーリーは突然に」で青春時代を過ごした40〜50代、ドラマやCMで楽曲に触れた20〜30代まで、幅広い層が自然とつながっています。
実際の会場では、親子や三世代で来場する姿も珍しくありません。
さらに印象的なのが、ライブの内容です。
派手な演出に頼ることなく、歌声とメロディそのもので会場を包み込むスタイルは、小田和正さんならでは。



78歳とは思えないほど安定した高音と、丁寧に言葉を届ける歌い方に、多くの人が引き込まれています。
「流行っているから行く」のではなく、「この人の歌を聴きたいから行く」。
そんな気持ちが、動員力につながっているように感じられます。
ツアーファイナルとなった2025年10月の横浜アリーナ公演では、松たか子さんやJUJUさんなど豪華ゲストが登場。
最後に歌われた「my home town」では、客席のあちこちで涙をぬぐう姿が見られました。
数字以上に、人の心を動かしてきた積み重ねが、この結果につながったと言えそうです。
🏅小田和正は何者?オフコースから現在まで売れ続けるキャリアの秘密
🎄独自コラム🎄
— Mikiki タワーレコードの音楽ガイドメディア (@mikiki_tokyo_jp) December 24, 2025
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小田和正さんの歩みをたどると、長く愛され続ける理由が少しずつ見えてきます。
1947年、横浜市金沢文庫で生まれ、名門・聖光学院高校を経て、東北大学工学部建築学科へ進学。
その後は早稲田大学大学院で建築を学ぶという、音楽とは一見離れた道を歩んでいました。
大学在学中の1969年、仲間と結成したのが「ジ・オフ・コース」です。
ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストで全国2位に入賞し、1970年にプロデビューしますが、すぐに人気が出たわけではありません。
前座で出演したライブでは、観客から冷たい言葉を浴びせられ、「最後の曲です」と言った瞬間に拍手が起きたという苦い経験もあったそうです。
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それでも音楽をやめなかったのは、「やっぱり音楽が好きだったから」。
1982年には日本武道館で10日間連続公演を成功させ、1989年にオフコースは解散。
その後のソロ活動で、1991年に「ラブ・ストーリーは突然に」が社会現象的ヒットとなりました。



小田和正さんの楽曲が長く愛される理由は、流行を追いかけないことにあります。
恋、別れ、家族、人生の節目など、誰もが経験する感情を、まっすぐな言葉とメロディで歌い続けてきました。
**「今の自分にも当てはまる」**と感じさせてくれる曲が多いからこそ、時代が変わっても聴かれ続けているのかもしれません。
🏅家族・母との絆が生んだ名曲たち|“人生を支えた原点”とは
小田和正さんの音楽の背景には、家族の存在が深く関わっています。
父は努力を重ねて薬局を開いた人で、母は看護師として働きながら家庭を支えてきました。
そんな両親の姿を見て育った小田和正さんは、家族への思いをとても大切にしています。
インタビューでは、「人生で大きな出来事の一つが、母と出会えたこと」と語ったこともありました。
この言葉からも、母への深い感謝が伝わってきます。



大学院時代、音楽か建築かで悩み続けた末、修士論文に付けたタイトルは「建築への訣別」。



音楽の道を選ぶ決断の裏には、**「好きなことをやりなさい」**という家族の支えがあったと言われています。
デビュー当時、つらい思いをしても家族には正直に話せなかったというエピソードも有名です。
心配をかけたくなかったという気持ちは、今の歌詞にも自然と表れています。
多くを語らず、押しつけもしない。それでも、歌を通してそっと寄り添ってくれる。
その姿勢が、小田和正さんの最大の魅力なのかもしれません。
「言葉にできない」
「たしかなこと」
これらの曲が人生の節目で流れ続けているのは、歌の中に小田和正さん自身の人生と家族への思いが込められているからなのでしょう。
🏅まとめ
小田和正さんが今も売れ続けている理由は、特別な演出や話題性だけではなさそうです。
2025年、78歳で全国13都市28公演・31万人を動員し、ライブ動員力ランキング17位にランクイン。
そこには、長年ファンと向き合ってきた信頼の積み重ねがありました。
オフコース時代の苦労、音楽への迷い、家族への感謝。
そのすべてが歌に自然と表れ、聴く人の人生と重なっていきます。
小田和正さんの歌は、これからも誰かの背中をそっと押し続けていきそうです。
だからこそ、年齢を重ねても、多くの人に選ばれ続けているのかもしれません。









