医学の進歩から映画の名作、そして海のミステリーまで――12月4日は、世界の歴史や文化に深く刻まれた出来事が目白押しの日です。
日本では北里柴三郎博士による血清療法の発表が行われ、世界医学史に名を残しました。
また、スピルバーグ監督の名作『E.T.』が日本公開された日でもあります。
そして航海史上最大の謎とされるメアリー・セレスト号事件もこの日に発生しました。
さらには、自然災害や宇宙開発の節目も重なるなど、多角的なドラマが詰まった12月4日。
今回はそんな“科学と感動と神秘が交差する日”を、詳しく見ていきましょう。
🧬医学の歴史を動かした!北里柴三郎博士と「血清療法の日」
1890年12月4日、日本の細菌学者北里柴三郎博士とドイツのエミール・ベーリングが、世界に衝撃を与える発表を行いました。
それが「破傷風とジフテリアの血清療法の発見」です。
むーたん当時、破傷風は致死率の高い恐ろしい感染症でしたが、この療法により患者を救える道が開かれました。



動物に菌を少しずつ注射し、体内に抗体を生成させてから、その血清を患者に投与する――今で言う「ワクチン療法」の原型とも言える画期的な研究です。
北里博士はこれにより世界中から注目され、細菌学の父として名を残します。
のちに彼の弟子たちは、日本の医療研究の基礎を築き、感染症対策の礎を作りました。
また、この功績を記念して制定された「血清療法の日」は、医療の尊さと研究者の努力を改めて感じる記念日です。
北里博士の精神は、現代の感染症対策にも受け継がれており、12月4日はまさに日本医学が世界と肩を並べた日と言えるでしょう。
🎬『E.T.の日』―映画史に残る名作が日本上陸した日
1982年(昭和57年)12月4日、スティーヴン・スピルバーグ監督による不朽の名作『E.T.』が日本で公開されました。
地球に取り残された宇宙人E.T.と少年エリオットの友情を描いたこの作品は、公開と同時に日本中を感動の渦に巻き込みます。



人間の優しさや絆をテーマにしたストーリーは、年齢や国境を超えて多くの人の心を掴みました。
特に印象的なのは、満月を背に自転車で空を飛ぶシーンや、E.T.が「E.T. phone home(E.T. おうちに電話する)」とつぶやく名セリフ。



どちらも映画史に残る象徴的なシーンです。
日本では半年間の上映で配給収入96億円を突破し、当時の歴代1位を記録しました。
その後もリバイバル上映やデジタルリマスター版が公開され、世代を超えて愛されています。
『E.T.』は単なるSF映画ではなく、「友情と別れの普遍的な物語」として人々の記憶に刻まれています。
12月4日は、そんな映画の力を改めて感じる日でもありますね。
🌏歴史の謎と自然の脅威―メアリー・セレスト号と八丈島東方沖地震
1872年12月4日、航海史上最大のミステリーと呼ばれる事件が発生しました。
アメリカの商船「メアリー・セレスト号」がポルトガル沖で“無人のまま漂流”しているのが発見されたのです。



船内には争った形跡もなく、食料も積荷もそのまま。



航海日誌は11月25日を最後に記録が途絶え、乗組員全員が姿を消していました。
この“幽霊船事件”は150年以上経った今でも真相がわからず、世界中の歴史ファンや研究者の興味を引き続けています。
一方、1972年(昭和47年)12月4日には、**八丈島東方沖地震(M7.2)**が発生。
八丈島では震度6を記録し、家屋倒壊や道路損壊、断水などの被害が相次ぎました。
余震は9日間で100回を超え、島民の不安が続いたと言われています。
気象庁はこの地震を正式に「1972年12月4日八丈島東方沖地震」と命名しました。



自然の猛威を改めて思い知らされた出来事です。
このほか、1960年には都営浅草線(浅草橋~押上間)が開業し、1965年には宇宙船ジェミニ7号が打ち上げられるなど、科学・交通・防災と幅広い分野での節目が重なった1日でもあります。
まさに12月4日は、人類の挑戦と未知への探究が交差する日といえるでしょう。
🎂まとめ|12月4日は“科学・感動・神秘”が交わるドラマチックな日
12月4日は、北里柴三郎博士による血清療法の発見が医学史を変え、『E.T.』の公開が世界中に感動を届け、そしてメアリー・セレスト号事件が今なお語り継がれる――そんなドラマチックな1日です。
また、八丈島地震のような自然災害も忘れてはいけません。
さらにこの日は、BTSのジン(キム・ソクジン)、ラッパーのJay-Z、日本の浅香唯や田村淳など、各界のスターたちの誕生日でもあります。
まさに12月4日は、“科学の偉業・映画の感動・歴史の謎”が一度に味わえる日。
E.T.のように「心で通じ合う瞬間」を思い出しながら、今日という日を少し特別に感じてみてはいかがでしょうか?









